4月上旬、大阪の郊外にあるスターバックスに行ってみたら、感染が疑われる咳をしている人が6人いた(飲食物が気道に入りそうになって咳き込む場合などは含めない)。そのうちの1人は苦しそうに咳き込む動作を何度も繰り返し、本当に体調が悪そうに見えた。ノートPCを持ち込んで仕事をしている人だった。座席数を約半分に減らして間隔をあけるなど、なるべく感染リスクが抑えられるよう配慮されてはいたものの、同じ室内に長時間滞在していては感染が拡がるのは避けられないように見えた。
お店のスタッフは、釣り銭を渡すときも、ドリンクを渡すときも腰が引けていて、びくびくしながら仕事をする様子がひしひしと伝わってきた。彼女たちもそれぞれ事情があるし、自分の人生もあるはずだ。危険を感じながらも働き続けなければならない境遇をどれだけ恨んでいたことだろう。本当に気の毒に思ったものだ。これはもちろんカフェ店員だけでなく、他の外食店やスーパーなどの店員もみな同じだ。なぜこんなこんなことになってしまうのか。
当然ながら「風邪くらい大丈夫」という考え方にも問題はある。他の誰かを感染リスクに晒すことになるからだ。とはいえ、多くの人は少し体調を崩したくらいではなかなか仕事を休めない現実のなかを生きている。制度上は休めることになっていたとしても、実際には休みにくい空気があったり、休ませようとしない上司がいたりすることが非常に多い。こうした環境に適応した人は、そう簡単に日々のルーティンを修正しようとしないのだ。
そういう人間でも、自分が新型コロナに感染していると分かれば、さすがに行動を自重するだろう。何かしらのメディアに触れていれば、この感染症への警戒が日に日に高まっていることが分かるからだ。誰かにうつしてしまうのも嫌だし、自分がうつされるのも嫌だと皆が思っている。周囲からどのような視線を向けられるかも意識せざるをえなくなる。自身の感染が明らかになれば、仕事を休むことについて周囲からの理解も得やすいはずだ。感染の疑いが持たれる人をPCR検査にかけることには重要な意味があるのだ。
もちろん直接診断が下れば一番確実だ。ただPCR検査を積極的に行えば、検査が行き届かない人に対しても間接的な効果が期待できる。簡単なことだ。感染者の数が国内で数百人、あるいは数千人と聞けば、多くの人はまさか自分が感染しているなどとは思いもしない。1億2千万人以上の人口がいるなかで、自分が感染している確率は10万分の1以下か、せいぜい1万分の1以下であると思えるからだ。そんなことを恐れる人は数字の計算もできない人だ、などという声も聞かれたものだ。しかし感染者の数が国内で数十万人、あるいは数百万人いると聞けば、私たちのほとんどは自分や周囲の人が感染している可能性を強く意識するようになる。その結果、多くの人は本気になって行動を自粛するようになる。
日本人の行動変容を促すために最も効果的な方法は、外出自粛要請を出すことでも、半強制的に店を閉めさせることでもない。協力金を出すことでも、所得補償をすることでも、テレワークを推進することでもない。もちろんそれが有力な手段であることは間違いない。だが最も効果的な方法は、積極的なPCR検査の実施により、多くの人が感染している実態を明らかにし、人々に自分自身あるいは自分の大切な人の生命が危機にさらされている現実を知らせることなのだ。
ただちに感染の疑いが持たれている人の大部分を検査することができないのなら(恐らくそうだろう)、無作為抽出法を利用すればいい。万が一、それを行う余裕すらないのだとしても、政府はそのことを正直に国民に伝えるべきだ。ほとんど行われていないPCR検査で陽性となった人の数を「感染者数」として扱うのではなく、「いま確認されている感染者の数はこのくらいだけど、実際には国内にすでに数万人から数十万人の感染者がいるとみられる」といったことを正直に伝えるべきだ。「このまま残りの人に感染が拡がれば本当に大変なことになる、だから皆さん外出しないで下さい」、このように言えばほとんどの日本人は従うはずだ。
何の義務も罰則もないまま、そして何の補償も報酬も与えないまま、人々に行動を変えせようと思うなら、それ相当の説得力と信頼がなければうまくいかないことを、政治家や官僚は知るべきだ。